「子どもの未来を開く川崎集会 若者文科会」にて登壇させていただきました。

本日 2023年12月3日(日)、法政大学第二中学・高等学校にて開催された、「子どもの未来を開く川崎集会 若者文科会」に登壇させていただきました。子ども食堂をお手伝いさせていただいた縁で僕の活動を応援し続けてくださる方のお誘いで参加を決めました。

若者文科会の企画のテーマは「私たちはどう生きるか」。4人の若者がそれぞれに思いの丈を語ればよい、とのことでしたので、信条である「『誠』探し」についてお話させていただきました。

いきなり出てきた若者が生き方を語ったところで取り合ってもらえるのだろうか、といった不安はよそに参加された方々が全員の発表に耳を傾けてくださいました。50代以降の方が多く、自分の若いころが思い出されましたとの声もいただきました。

さて、お話した内容はさておき、発表終了後に一人の女性の方から頂いた質問について考えることがあったので、ここに遺しておきたいと思います。

質問は「20歳になる娘が死にたいと言う。どのように関わればよいか」。そこで、僕にもそのように悩む時期があり、当時は周りがどんなに声をかけてくれても立ち直れなかったが、時間をかけて前を向こうとしたときに気にかけてくれた人たちの声が遅れて届き救われた経験をお話しました。たった一人の体験とはいえ、焦る必要はないし、お子さんを思いやる気持ちは決して無駄にはならないと伝えたかったのです。回答としてはこれが精一杯でした。当時の記憶を引っ張り出して、言葉を選んで、一意見としてお伝えしたのですから、短い質疑応答の時間のなかでできることはやったと思います。

その一方で、心にはもやもやとしたものが残りました。ともに準備のため語り合った若者文科会のグループLINEに投稿した下記の感想文(の代わり)の通りです。

最も印象に残っているのは、娘さんが「死にたい」と思い悩んでいる方からの「どうすればよいか」という問いです。この問いを受けて考えたことを感想の代わりとしてお伝えします。

10代の頃の僕も、「この世に『死にたい』と思っていない人なんているのか」と本気で考えていました。同級生の一人から浴びせられ続けた人格否定の言葉が要因のうちの大きな一つです。

ですから、上の質問には当時の記憶を思い出しながら、できる限りのことをお伝えしました。

しかし、正直に申し上げると、いまは周りの方たちのおかげで立ち直り、志と夢を持って地に足をつけて行動できている感覚があり、少なくとも直近の2年間は「死にたい」とは感じない日々を送っています。

つまり、「この世に『死にたい』と思っていない人」が存在することを実感として知ってしまいました。

まだ僕は思い悩んでいた時期の記憶がありますから、質問にも自分の言葉で伝えることができました。それもギリギリだったと思いますが。でも、いまの状態がこのまま続いたら、思い悩む娘さんと同じような境遇にいる方や過去の自分に対する想像力を失ってしまうのではないか。それが怖いです。

この問いに対する明確な答えは見つかっていません。しかし、こうやって自問自答を繰り返すことで、この営み自体が新しい記憶となって未来の自分にも思い出してもらえるようにすることが、今できることなのではないかと考えています。

きっとこれは1人で悩んでも仕方のないことで、誰かと語り合ってみたいです。

ありがとうございました。

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