プロフィール

トップページの短い自己紹介をご覧になったうえで興味を持ってくださった方に向けて、言葉を尽くして私が考えてきたことを紹介させていただくページを作りたいと考えています。

何度も修正しながら、少しずつ書き加えていく形を取りますので、よろしくお願いします。

1997.5.4~
第二ひかり幼稚園
市立下平間小学校
早稲田中高
東京大学文学部
介護士(+アプリ開発)
資格→社会福祉士・介護福祉士・防災士


幼少期~小学校時代

中高時代

「誠」との出会い(未編集)
「腹黒い」とは何か(未編集)

大学時代

格差への意識

大学入学直後に知り合った友人たちの親御さんが、官僚や医師、経営者などの「社会的地位の高い」職業に就いていることを知りました。もちろん偶然かもしれません。ですが、そのような「階層」の家庭で育った学生を目にすることはその後も多くありました。

一方で、小学校時代の友人のことを思い出しました。彼は高校卒業後すぐに働いており、すでに健康診断の結果が思わしくないそう。そのとき、生まれ育った環境の「金銭的な豊かさ」という面での差をはっきりと感じました。

もちろん、裕福さの差がそのまま幸福の差に直結するとは限りません。しかしだからといって、「幸せは人それぞれ」と片づけて、この格差を見なかったことにしてよいのだろうか――。それが、大学1年のときに私が抱いた問いでした。


この問いを、もうすこし考えてみます。

もともと私は大学卒業後はしっかりとしたお給料をもらえる職に就いて、もし自分の子どもを授かることができたなら、少なくとも自分が受けた教育と同じくらいの教育を受けさせてあげられるような環境を整えてあげたいと考えていました。何人かの友人と話したところ、皆も同じように考えているようでした。

この考え自体は、筋が通っているものだと今も思います。与えられた環境の中で、「努力」をし、もちろん法の範囲内で自己の利益を追求する。非難されるいわれはありません。

ただ一方で、生まれ育った環境の差を次の世代に引き継ぎ、格差の固定化に加担しているという側面も否めません。

こうして、当初の問いは、「個人の合理的な幸福の追求と全体最適はどうすれば両立可能か」と形を変えていきました。

この問いは傲慢か?(未編集)
考古学ー過去と未来への責任(未編集)
現時点での回答(未編集)
筋の通った就活を(未編集)

社会人~

恩返し(未編集)
地に足のついた改善を(未編集)